カルマを積む生き方か、カルマを解消する生き方か。

カルマという言葉をご存じですか?

 

カルマとは仏教用語の因業のこと。

自分がした行為(因)は、それが良いものであっても悪いものであっても、必ず結果として自分に返ってきます。

「因果応報」という言葉は、ここからきています。

 

自分がした行為。

これが一番厄介なのですが、この行為とは現世での行為だけを指すものではありません。

 

私たちが現世で色んな現実に遭遇している場合、辛い時や悲しい時などネガティブな感情を惹起させる現実に直面している場合は特に、その辛い現実という「結果」は、現世よりむしろ前世での行為の因果として現世に立ち上がってきているのが実情です。

 

現世とか前世とかカルマとか訳わかんないよ!

前世なんか知ったこっちゃないよ!今の私の辛さに何も関係ないじゃん!!

 

その気持ち、よくわかります。私も以前はまったく同じ気持ちでした。

 

ただ、現状あなたが辛くて悲しい状況であれば、それはやはり前世でのカルマが原因であることは間違いないのです。

 

そしてなぜ前世のカルマを今世まで引き継いできているかというと、「自分は今世そのカルマを解消する」と強く魂に決めて生まれてきたからにほかなりません。

 

私たち人間がこの世に生を受けるとき、私たちは今世自分が成し遂げるべきことを生まれる前に決めてきています。

この「成し遂げるべきこと」が、時には新たな目標であったり、時には特定のカルマの解消であったりするわけです。

 

 

金、異性、地位、名声。

それらを持つ者に対する羨望や嫉妬、またはそれらを持たない者に対する蔑視、見下し。

 

見栄、虚栄心。

 

例えば不倫・二股、詐欺、裏切りや、他者から寄せられた信頼に舌を出す行為、また嫉妬から人を陥れる行為など。

 

人間は絶えず色んな欲や執着に悩まされ、苦しみ、もがいています。

 

欲を満たせば幸せに満たされると思い、それらを手にしようと我武者羅になってみたり、あるいは「酸っぱいブドウ」のように、それらをすでに手に入れている人や手に入れようと我武者羅になっている人を馬鹿にして、世の中の条理を悟った無頼を気取ってみたりします。

 

 

どちらのタイプもいずれにせよ、欲そのものに執着していることには変わりません。

 

 

 

欲に執着するのではなく、そのループから抜け出すこと。

これを解脱といいます。

 

 

カルマを一つずつ解消していくと、カルマのない状態になるので、輪廻転生のループから外れて極楽浄土に行くことができます。

(人は皆死んだら仏になるという宗派の仏教もありますが、私はこれに懐疑的です)

 

 

逆に言えば、カルマを解消せずにいる、もしくは新たなカルマを増やしてしまうと、来世同じように辛く苦しい現実を繰り返し、さらに新たに辛く苦しい目に遭わなくてはいけません。

 

 

カルマはちょうど夏休みの宿題のようなものです。

 

海に行ったりおじいちゃんおばあちゃんの家に行ったり、色々楽しいことが目白押しの夏休み。

宿題をやらずに夏休みを終えても、宿題は消えてなくなりません。

秋学期に食い込んでも必ず提出しなくてはいけませんし、頭の片隅にいつも宿題のことがあって他のことに集中できず、憂鬱な気分になると思います。

 

また、宿題をしていなければ、休み明けのテストで高得点を取ることもできないでしょう。

毎年こんな調子では、年々学力や先生からの評価も下がってしまいます。

 

 

このように、前世でのカルマを解消せずに今世を終えたところで、結局来世に持ち越しになるだけ。

さらに今世で新たなカルマを積んでしまう場合、来世のカルマはどんどん増えていくことになります。

 

 

人の道に逸れる誘惑になびいてしまいそうな場合、必ずそこに自分のカルマの種があります。

 

 

 

誘惑に堕ちてカルマを増やしてしまうのか、

 

それとも誘惑を断ち切り、カルマを解消するのか。

 

 

人間に与えられた選択肢は、皆平等に2通りあります。

 

そこに金持ちも貧乏人もありません。

 

 

 

 

カルマを積む生き方か、

 

カルマを解消する生き方か、

 

 

あなたはどちらを選びますか?

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